藤原定家『明月記』断簡の発見と、記者会見
2016/03/25
こんにちは。教員の久保木です。
写真がなく、文字が多くて、いささか見栄えのしない記事ですが、報告などを兼ねまして。
Webのニュースサイトや新聞などで見た人も、あるいはいるかもしれませんが、3月22日(火)に、岡山の林原美術館で、『明月記』という古い写本の新出部分が発見された、という記者発表が行われました。こちら↓など、です。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160322/k10010452621000.html
この『明月記』は、12世紀末~13世紀前半に活躍した、藤原定家(ていか)の日記です。
定家は歌人、歌学者、古典学者として、のちの時代に大変な影響を及ぼしました。
また、定家が関与した写本の実物も多く残っていますので、それら「定家本」は、書誌学コースとしても、きわめて重要な研究対象となります。
(私が担当しているどの授業でも、定家の名前が出ないことは、まずない、はずです)
さて、そのような定家の日記『明月記』の原本が、定家の子孫の冷泉家(現・公益財団法人冷泉家時雨亭文庫)に大量に伝わっており、国宝指定も受けています。
が、江戸時代を中心に、一部分、外部に流出し、それがさらに分割されて、「ほかならぬ定家の筆蹟!」ということで、美術品として扱われ、コレクションの対象とされてきました。
そうした、分割された『明月記』断簡の中には、転写本すらなかったために、これまでまったく知られていなかった記事が含まれていることがあります。
今回の、林原美術館で発見された1点も、断簡としてはもちろんのこと、内容としても、完全に新発見、というものでした。
さて、前置きが長くなりましたが、今回の発見は、私が(いちおうの)代表を務めている共同研究の研究成果として、もたらされたものでした。
昨2015年の3月に、林原美術館のご厚意により、ご所蔵品の調査を進めていた中で、メンバーの皆さんと一緒に、『明月記』の新出の1点を発見した、という次第です。
ただ『明月記』に関しては、私などより、専門としてはよっぽど近い研究者―上掲ニュースに出てくる藤原重雄さんが、メンバーの中にいましたので、詳しい研究はすべてお任せし、記者会見でもご担当をお願いしました。
ですので、内心、私なんかは記者会見にいなくても…と思わないでもありませんでしたが、やはり立場上、そういうわけにもいきませんでしたので、(きわめて不向きながら)出席することとなりました。
何しろ記者会見なんて、初めての経験ですので、気がひけるような感覚は、最後まで残りました。
が、調査をご快諾いただいた林原美術館(本当にありがとうございました!)へのご恩返しとして、少しはお役に立てたようですので、その点は、よかったな、と思っています。
ちなみに、各種メディアでも、やはり『明月記』がメインで取り上げられましたが、林原美術館のこちら↓のサイトで、より詳しい内容を知ることができます。
http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=409
なお、本学図書館ブログでも、今回のことについて、書いてくれました。あわせて、お目通しいただけましたら。
http://blog.tsurumi-u.ac.jp/library/2016/03/post-6e96.html
ついでに一言。
2月~3月にかけて、学生の皆さん同様、ドキュメンテーション学科の教員も、基本的には授業自体はありません。
しかし、それに伴い大学の仕事も全部なくなる、なんてことは、当然と言えば当然ですが、これっぽっちもないのですね。
ただ、授業期間に較べれば、少しは動きやすくなりますので、ほんのちょっとでも時間があけば、すかさず出張の予定を入れて、全国各地を飛び回り、古い書物や、断簡などの実地調査をしています。
その際、結構むりやり、スケジュールを組んでいきますので、これを書いている今などは、けっこうヘトヘトになっています。
それでも、調査によって、新しいことが分かったり、新しい問題点が見つかったり、という大小さまざまな発見があるのは、この上なく嬉しいことであり、楽しいことなのですね。
そうして、研究者としての研究を進めつつ、また新学期を迎え、授業が始まった時には、さっそく調査の成果を、授業内容に組み込んだりもしています。
来年度の授業でも、きっと定家や、定家本のことを取り上げることになるでしょう。
今回の明月記の話題や、そこから展開していく様々な問題についても、いろんな形で、お話ししていければと、考えているところです。
ではまた新学期、お目にかかります。
(2016.3.26、一部分書き換えました)