今日は、パリ祭。フランス革命記念日です。
革命の影響は、驚くほど広く遠くに及びました。
波紋の結果が肯定的なものばかりではなかったことは、勿論です。
C.ディケンズやA.フランスの小説をお読みください。
中世からの伝統で、パーチメントの見事な宗教書が作られましたけれども、
革命以後、美術品としても価値の高い大型写本は見られなくなる、とか。
(東京芸大の先生から聞いたところを受け売り)
書物の歴史から姿が消える直前の写本は、こんな風情。ラ・マルセイエーズの歌声が響く少し前のグレゴリオ楽譜です。
中世の写本に比べると、ずいぶんすっきりとして読みやすくなっています。
音符が四角であることや4線譜であることも、面白いでしょう。
ハイドンが活躍し、モーツアルトが生まれる頃に作られました。
縦50㎝に迫る大型本は、存在感十分。
革命以後作られなくなった書物の、形見です。
文化大革命や明治維新後の廃仏毀釈については、いずれ。
鶴見大学文学部日本文学科研究室
甘い物が3回続きましたので、ちょっと渋めのお話。
ここらでお茶、ではありません。
「それを勉強して何の役に立つのか」とよく批判されるのは、漢文と数学。
数学のことは後回しとして、漢文は役に立つのでしょうか。
あなたが学生ならば、ちやんと単位が取得出来ます。
漢文から得られた知識は、社会人となったとき、あなたの評価を高めます。
知的訓練としてごく上等ですから、汎用性のある頭脳を鍛えます。
と、いろいろありますが、そもそも短期的な役立ち方を求めることがおかしい。
もし「あなたは何の役に立つのか」と聞かれたら、困る人もいるでしょう。
それはさておき、読んで楽しい漢文もたくさんあります。
特に江戸時代、風刺あり笑いあり悪ふざけありの作品があまた生まれました。
その1つ、『昔昔春秋』。文庫本くらいの大きさです。
中国の古典『春秋左氏伝』の体裁により、格調高くおとぎ話を綴ります。
かちかち山・猿の生き肝・舌切り雀などを縦横に織り込んで、大筋は桃太郎。
明治になっても好まれ、版を重ねました。
先年物故された歴史学者黒板伸夫先生の、少年の日の愛読書とか。
大儒中井履軒の作と明記してありますが、実は赤井東海のいたずら。
どこまでも人を食った小品です。
ついでに申しますと、何かが出来ない時、その何かを貶める人がおられます。
(「役に立たない!」などど仰せられて)
貶めてしばしの落ち着きを得るのでしょうが、いかがなものか。
出来ない現状を率直に認め、少しでも出来るよう努力するのが、筋。
漢文とて、同じことです。
とうとう数学の話は出来ませんでした。
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めでたい字が並びます。
今日(16日)は、「嘉祥頂戴」のゆかしい日でした。
(南宋の通貨、嘉定通宝と関係があると言う説も)
江戸時代、お菓子を拝領したり贈答したり、の年中行事です。
公家も武家も、そして町人たちもお菓子のやりとりを楽しみました。
明治以降ほとんど廃れてしまい残念。
現在「和菓子の日」と言われているのは、そのなごりです。
となれば、この月はやはり「水無月」。
ういろう生地に小豆を散らしています。
もともと関西のお菓子でしたが、最近こちらでも見かけるようになりました。
シンプルで涼しげな品に爽やかな染付皿を組み合わせて、お目にかけます。染付は中国南方の窯、清朝前期でしょうか。
(ピンボケのようですが、もともと滲んだ絵柄です)
読書の合間には、是非お茶とお菓子を。
お気に入りの器があれば、申し分なし。
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「へんか」でも「へんげ」でも、お好きな読み方で結構です。
花の色の多彩・微妙は、アジサイがその代表格。
土質によっても色調が変化します。
唐の時代玄宗と楊貴妃のころ、一日数回色の変わる花があったそうです。
「花妖」と呼ばれました。
アジサイへ戻って、古典文学にはなかなか登場しません、
飛び離れて古く、万葉集に例があります。
江戸時代、そして近代になってから、広く好まれるようになったのでしょう。
小説家では泉鏡花、画家では鏑木清方が愛好家の代表格。
鏡花の作品に清方が挿絵を描いたものは、人気があり高価です。
絵師鰭崎英朋も、鏡花の小説に彩りをそえました。
(英朋については、以前ご紹介したことがあります)
この時期ですから、爽やか・あっさりの染付に再度登場してもらいます。
アジサイにちなむ涼しげな和菓子を載せました。
裏側が洒落ていますので、見参見参。高台内の印は、この時期の伊万里染付にしばしば見かけます。
もとの字は「乾」でしょうか。
なお、研究棟脇の雑木林でホトトギスが鳴いていました。
その昔、コウモリを見たこともあります。
研究棟の廊下には、時にムカデも出てきます。
自然豊か、と言うことでしょう。
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研究棟の脇では、アジサイが咲き始めました。
とは言え、5月の花はやはりアヤメ。
(菖蒲と書くこともありますが、それは正確にはサトイモの仲間)
「ほととぎす鳴くや五月のあやめ草あやめもしらぬ恋もするかな」
(古今和歌集 巻11恋1)
これを本歌として、多くの作品が詠まれました。
例を挙げるのに迷うほど、たくさんあります。
「うちしめりあやめぞかをるほととぎす鳴くや五月の雨のゆふぐれ」
アヤメの歌の中で、屈指の秀吟かと思います。
(出典と作者は、お調べください)
ついでに、もう一つアヤメ。古染付の皿と薯蕷饅頭の取り合わせです。
アヤメの焼き印と緑の葉で、水辺を描いています。
織部饅頭の応用でしょうね。
古染付の素朴で雅味のある風情も、いいものです。
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風薫る季節、新緑のみずみずしさは格別!
初夏の光に若葉が揺れ、6号館のまわりもしたたるばかりの緑です。
木立が描かれた古い絵をとりだしてみます。
これはエッチング(銅版、6㎝×4㎝くらいの小品)、
ひなびた風趣が伝わってきます。
この細やかさを木版画で再現することが、19世紀に盛んとなりました。
堅く緻密な木口を利用した木版です。
では、英国ロマン派を代表するワーズワースの詩集から1枚。流れに沿った農家のたたずまいが、なんともすばらしい。
これも小品(10㎝×5㎝程度)です。
2枚を比べてみてください。
銅版と木版、区別が付きますか。
(見分けるためには、ちょっとしたコツが必要)
なお、図書館には英国ロマン派に関する優秀なコレクションがあります。
和漢洋を問わず、時の流れを乗り越えた書物は魅力的です。
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緑が日一日と濃くなっています。
この季節の花は、まず藤でしょう。
勅撰集では、春のすえに置かれたり夏の初めを飾ったりします。
「夏にこそ咲きかかりけれ藤の花松にとのみも思ひけるかな」
これは初夏の例。
「暮れぬとは思ふものから藤なみの咲けるやどには春ぞひさしき」
もちろん、晩春の詠です(出典はご自分でお調べください)。
すこし珍しい花を見ました。藤は紫か白が通り相場、これは薄紅です。
香り高く、蜂が飛び回っています。
なお、歴史的仮名遣いでは「ふぢ」。
よって「淵」の掛詞としてもしばしば使われます。
「むらさきのゆゑに心をしめたればふちに身投げむ名やはをしけき」
外出が難しいとき、書物の中を散策するのはとてもよいこと。
禍転じて福となす、かどうかは、心がけ次第です。
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