オホナムチ・スクナヒコナ(大汝・小比古尼の他、表記は多様)の昔から
大小対となるものがたくさんあります。
ただ今女性に人気の刀・脇差もそのひとつ。
いろいろな例を捜してみると、面白いでしょう。
本日は伊万里の大小です。 大きい方は食器、小さいのは化粧品(たとえば白粉)を入れるもの。
小さい蓋物の直径が約7.5糎、可愛い焼き物です。
3段重ねですが、1段分なくなってしまいました。
(担当者がなくしたわけではありません、念のため)
不完全でも、並べてお見せすると小さい方が好まれます。
「なにもなにも小さきものはみなうつくし」(枕草子)。
では、時節柄十二分のご自愛を。
受験生のみなさんは特に気をつけて。
鶴見大学文学部日本文学科研究室
卒業論文はいかがでしたか。
思い通りに、それとも、もう少し頑張れば・・・。
次は定期試験です。あともう一山、それを過ぎると春が近づきます。
さて、みなさんとほぼ同じ年齢で、近代の作家は何を書いていたでしょうか。
漱石は比較的遅い出発ですが、学生の頃見事な漢文で『木屑録』を綴ります。
尾崎紅葉はすでに大家かつ売れっ子でした。
面白いのは、芥川龍之介の最初の作品が『老年』だと言うこと。
幸田露伴も、若い時代に晩歳老境を語る小説を書いています。
『太郎坊』です。音に聞こえた『五重塔』よりずっとおもしろいでしょう。
頭の薄くなった亭主の昔話仕立てですが、相手をするおかみさんも見事。
「伊万里の刺身皿」「同じ永楽」「中は金襴地で外は青華で」などと
すらすら続けられる女性が、はて、向こう三軒両隣におられましょうや。
道具修行をかなり積まないと、このおかみさんのようにはなりません。
左利き必読、となれば、盃を並べてみたくなります。
絵瀬戸盃・明呼子盃・無地志野猪口・李朝粉引盃です。
台は李朝の漆器、時折これで飯を食います。
(担当者は、情けないことに下戸)
では、お風邪など召しませぬよう。
鶴見大学文学部日本文学科研究室
今日は、モーツアルトの命日です。ご存じでしたか。
明快な構成、繊細で陰翳に富む旋律、絶妙の転調・・・
彼の音楽を聴くことは、大きな喜びです。
音楽史上最高の神童は、亡くなるまでその楽才を輝かせていました。
と言うより、才能を伸ばし続けた、のではないでしょうか。
十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人、の皮肉とまったく逆です。
(講師で俊英、准教授で知恵者、教授になったらただの人、とは申しません)
天才を偲んで、その頃作られた器をご紹介します。
捻文輪花の古伊万里染付鉢、お菓子は添え物です。
お定まりのレクイエムを出さない、このひねくれが担当者の身上。
さて、今週土曜には日本文学会秋季大会がございます。
どうぞお越しください。お待ちしております。
鶴見大学文学部日本文学科研究室
と申しても、物騒な感染症のことではありません。
人が愛玩し育てたものについて、です。
器であれば伝世品。掘りの手(発掘品)と対比されています。
たとえ粗末な碗であれ、猫の餌入れみたいな皿であれ、
長い年月、人の手を経たものには不思議な艶やかさが備わります。
(野趣横溢、新鮮素朴な掘りの手も、勿論魅力的です)
風景も同様、手間暇かけて幾世代も受け継がれた里山や庭の美しさ!
凝り過ぎた、あるいは媚びたお庭は、思わせぶりで嫌みですけれど。
ともあれ、ひさしぶりに谷戸の地形を生かした庭園へ。
時折ししおどしの音が、のどかに聞こえてきました。
さて、日本文学会秋季大会は目下鋭意準備中です。
御案内は次回といたします。
鶴見大学文学部日本文学科研究室
神無月も昨日で終わり。
源氏物語には十月の場面が多く描かれました。
華やかな紅葉の賀、光源氏の住吉詣、薫が出生の秘密を聞くのもこの月です。
神無月を惜しみ、帚木巻から左馬頭の述懐をご紹介。
月の美しい夜宮中から一つ車に乗ってみれば、
なんと行く先は自分の愛人の家。
上人(「しょうにん」と読んではいけません)と色めいたやりとりをする。
左より2行目、上人(殿上人です)が左馬頭の愛人に歌を詠みかけ・・・
あとはご自分でどうぞ。
江戸時代前期の写本、秋草の金泥下絵が洒落ています。
大学ではこれから、いろいろな書類や手続きが必要となるでしょう。
特に4年生のみなさんは、遺漏のないよう気をつけて。
寒さに向かう時節がら、体調管理も大切です。
鶴見大学文学部日本文学科研究室
明後日は旧暦の9月13日、栗名月です。
8月15日の芋名月を眺めた方は、栗のほうもどうぞ。
一方だけ賞美することは、片見月または片月見と言われました。
(この両語、どちらかがmetathesisを起こしたのではないでしょうか)
十三夜をめでる習慣は、平安時代(10世紀)に成立しています。
では、例によって和菓子と器を。
薄の焼き印と月、緑は野原でしょうか。
さて、明日から大学祭(紫雲祭)が始まります。
最終日が十三夜ですので、月を眺めつつの家路も風流かと。
そうそう申し忘れました。
まさか『十三夜』を読んだことがない、とは仰らないでしょうね。
樋口一葉のこの小説を読むと、益田太郎冠者の「癇癪」を思い出します。
桂文楽が絶品でした。
ここから近代の大茶人鈍翁へ話を延ばすこともできますが、それはまた。
鶴見大学文学部日本文学科研究室