さすがに冬、研究棟のあたりでは落葉が風に舞っています。
曇り空から雪でも降ってくるような天気が続きそう。
最近は、都会の雪が少なくなりました。
江戸とまでは言わずとも、戦前まではよく積もったようです。
(残念ながら、担当者の全く知らない時代)
では、明治の雪景色をどうぞ。隅田川東岸から浅草方面を眺めた図です。
赤く塗られた建物は、待乳山の聖天様。
明治28年の石版画ですので、樋口一葉が名作を書き綴っていたころです。
『たけくらべ』『にごりえ』は、この年に書かれました。
担当者のおすすめは『にごりえ』ですが、『十三夜』もなかなかおもしろい。
ついでに申しますと、落語の『癇癪』は『十三夜』を軽くした作り方です。
さらについでを申せば、桂文楽の『癇癪』は絶品でした。
大晦日までに一葉の『大つごもり』を是非一読してください。
鶴見大学文学部日本文学科研究室
この言葉から、何を思われますか。
五言七言の絶句、梁塵秘抄の今様はなかなか良い答えです。
(近代今様の手練れは、佐藤春夫)
三行ならば石川啄木の短歌を思い出してください。
でも今日はペルシャの四行詩ルバイヤート。
数学・天文学に優れたオマル・ハイヤームは、ルバイヤートの名手でした。
(当時世界最高水準の数学者で、暦の研究でもグレゴリオ暦を超えています)
フィッツジェラルドの英訳により、欧米全体で高く評価されます。
では、1872年版をご覧ください。巻頭にハイヤームの略伝があり、これがまた良く出来ています。
日本語訳もいくつかありますので、英訳と対照してはいかが。
(太宰治も小説中に引用しています)
ついでに申しますと、今日(4日)がハイヤームのなくなった日。
日本で言えば、平安時代を生きた詩人です。
その頃、我が国では今様が流行していました。
東西の四行詩を読み比べてみるのも、おもしろいでしょう。
さて、洋書を手にしている方、古典籍を読んでいる人、
(影印本や複製本でも結構)
あなたはとっても素敵です。
鶴見大学文学部日本文学科研究室
晩秋のこの頃、いろいろな方のお世話になってきた、としみじみ思います。
ご命日が近い秋山虔先生も、そのお一人。
出来の良くない弟子を、寛容に見ていてくださった。
先生のご配慮で、研究者の道を歩むことが出来たのです。
90歳になられるまで、幾度も鶴見へ足を運ばれました。
展示や講演会へ来てくださると、お菓子をお出しします。
たいてい最中か甘納豆を選んでいました。
(結局のところ、担当者の好みを押しつけてしまったのかもしれません)
今日は、古伊万里に甘納豆の組み合わせです。甘納豆は珍しくありませんが、古伊万里段重は稀品。
1段1段の胴が丸みを帯びていて、とてもやさしい表情です。
これからお茶を淹れて、先生を偲びます。
「仰げば尊し、わが師(和菓子)の恩」です。
駄洒落なんぞ不謹慎とおっしゃっては、いけません。
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読書に思索に、好適な季節です。
勿論、散策にもふさわしい日よりですので、それを口実に机辺を離脱。
雑木林を抜け湿地へ出てみると、可憐な花を見つけました。
野生植物に詳しくないので、名前は分かりません。
(久保田淳先生は、この方面にもお詳しい方です)
ご存じ福永武彦氏の小説です。
文学賞受賞の長編よりも、この『草の花』や『独身者』などが面白いでしょう。
『加田伶太郎全集』と言う洒落た本もあります。
1冊本ですが、なんと月報付き!
『枕頭の書』以下の随筆集もお薦めです。
師渡辺一夫譲りの軽みがあり、装丁もおもしろい。
読書の秋にどうぞ。
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柿が収穫の時を迎えています。
稲刈りの季節も間近。
源氏物語でも、秋の田園風景が印象的に書き込まれています。
夕霧の巻と手習の巻です。
明暦版の源氏小鏡から、小野の稲刈りをご紹介。
尼となった浮舟の女君は、山里の収穫作業を眺めています。
(尼と言っても、髪を少し削いだだけ)「秋になりゆけば、空の景色もあはれなるを、門田の稲刈るとて」
歌をうたいながらの農作業です。
わかりにくいので、大きくしてみましょう。さて、友人にふるさとのことを聞きました。
耕作放棄地が目に見えて増えているそうです。
(無償でも借り手がない)
田園まさに荒れなんとす、どころか、もう荒廃がずいぶん進んでいるらしい。
里山はさらにひどい状況とか。
(他人事ではありません、都会の飲み水や防災に深く関わります)
食糧自給率を云々されるみなさん、言葉だけならば簡単なこと。
一度田舎の現場へ行かれてはいかが。
なぜ農業が衰退するのか、ご自身の眼でお確かめください。
お百姓生まれの担当者は、収穫の秋を素直によろこべません。
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研究室から本山参道へ下りて、少し涼しくなった境内へ。
この時期、墓参や諸堂拝観の方々が多く来られるのに出会います。
余計なことを申せば、仏教発祥の地インドに彼岸法要はありません。
ゆかりの人々を偲ぶ、日本の伝統行事です。
(中国の彼岸については、まったく知識なし)
ただし平安時代では、転居や縁結び、通過儀礼に適した吉日でもありました。
源氏物語では、秋の彼岸に新造の六条院へ引っ越ししています。
それはそれといたしまして、彼岸と言えばおはぎ。
なじみの和菓子屋さんでは、白胡麻のおはぎを出しています。
ちょいと珍しいでしょう。
担当者のふるさとでは、稲の取り入れが終わった後、おはぎを作って祝います。
「秋あげ」と言っておりました。
しかしそのふるさとは、少しずつ荒廃が進んでいます。
穀物輸出大国が食料輸入に転じ、人口爆発が起こった時、
一体私たちはどうすればよいのでしょうか。
と、至極真面目な話となったところで、今回はこれまで。
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「夏ごろ、はちすの花のさかりに」とは、源氏物語鈴虫巻の書き出しです。
蓮は、実が入った花托の形が蜂の巣ににているところから名付けられました。
蓮の実は、勿論食べられます。美味かつ薬効も期待できるとか。
源氏物語では、小野の山里を訪れた客に蓮の実が出されました。
今の時期は、蕾と花托との両方が見られます。蓮は仏教と縁の深い植物です。
しかし中国では、釈尊以前から花を愛で、根や実の利用が盛んです。
また艶やかな花の姿から、美女を連想することがありました。
蓮の音が「憐」と同じなので、異性への情感も重なります。
(「憐」には可愛く思う、の意味があります)近くの蓮田まで足をのばすと、このような風景に出会います。
猛暑の候、十二分のご自愛を。
鶴見大学文学部日本文学科研究室