今日(6月16日)は、お菓子の贈答が吉例となっておりました。
江戸時代の末まで行われていたようです。
現在は「和菓子の日」に呼び名が変わっています。
年号の嘉承(848~851)に縁があるとも言われますが、確証なし。
南宋の嘉定通宝16枚で菓子を購入した、との説もあります。
いわれはともかく、おいしいものをお気に入りの器で楽しみましょう。
薄緑の栗饅頭? いえいえ梅の実のデザインです。
この季節、青梅がおなじみですけれど、漢籍には黄色の梅の実が出てきます。
熟した梅の実や熟する時期は「黄梅」。
そして高坏風の器は、中国南方の素朴な染付です。
暑くなったら、アイスクリームを載せてもおいしそう。
なお、先日の「庖丁、研ぎまさあ」は好評でした。
黒板先生に拍手。
鶴見大学文学部日本文学科研究室
鎌倉殿の噂話が好評のようです。
(担当者はテレビをほとんど見ませんので、実のところ不案内)
先日の記事の通り、かつて合同研究室で「権記の会」が開かれていました。
熱心に指導してくださったのは、黒板伸夫先生です。
ある時、いつも穏やかな先生のお顔が、少し引き締まったように見えました。
そして、ゆっくりとお話が始まります。
「鎌倉に、刃物を研いでまわる職人がおりまして」
先生のご専門は平安時代史ですが、有職故実や制度史にもお詳しい。
中世都市の珍しい史実について話されるに違いない、と一同謹んで拝聴。
先生、続けて「庖丁、研ぎまさあ!」。
笑ってよいものかどうか、迷っておりますと、追い打ちがかかります。
「あとから息子が、おやじ、止しとき」。
親子二代の名を織り込んだ、先生渾身の洒落です。
念の為、余計な説明をしますと「庖丁、研ぎまさあ」(北条時政)、
「止(よ)しとき」(義時)です。
先生のうれしそうなお顔が、今も目に浮かびます。
では、北条時政・義時の時代に作られた焼き物をご紹介。
(ただし日本の陶磁器ではありません)高麗青磁に桑の小枝をあしらっています。
実は、このページを見てくださっている方から、苦言がございました。
「お前の『~は、いずれ』は、一向に実現しない」と。
そこで、黒板先生の「いずれ」を今回書いてみた次第です。
鶴見大学文学部日本文学科研究室