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2026年6月25日 (木)

ヨーロッパ中世写本の世界 〜鶴見大学図書館零葉コレクション (3)〜

聖書零葉 Leaf from the Bible

詩篇I: 1〜7: 13(ハープを弾くダヴィデ王)

羊皮紙、寸法 195 x 140 mm、テキスト欄寸法 125/129 x 101 mm、2段37行

フランス北部、1270-1280年頃

登録番号 1379232

 

中世のヨーロッパでは、用途に応じて様々なタイプの聖書が制作されました。13世紀になるとパリをはじめとする大学都市において、大学生や修道士のための小型の携帯用聖書が登場します。現在の一般的な聖書よりもひとまわり小さなポケットサイズですが、ラテン語聖書全体が辞典の紙を思わせるほど薄い羊皮紙に記されています。彩色がほどこされ、金の装飾文字や彩飾挿絵が多数盛り込まれた写本も知られていますが、極薄の羊皮紙であるにもかかわらず文字や挿絵が反対側のページににじんでいないから驚きです。

鶴見大学に所蔵されているこの零葉は、そうした小型聖書に由来する「詩篇」の最初の一葉で、第1篇第1節「幸いな人です Beatus vir ...」から第7番13節「立ち返らない者に向かっては、剣を鋭くし、弓を引き絞って構え Nisi conversi fueritis, gladium vibravit ; arcum suum tetendit, et [...]」までがうすい褐色のインクで書写されています。 

Photo1_recto

幸いな人です。

不敬な人々の計らいにかかわらず

罪ある者の道にとどまらず

傲慢な者と共に座らず

主の教えを愛し

その教えを昼も夜も反芻する人は。

...

 

Beatus vir qui non

abiit in consilio im-

piorum, et in via pec[cat]or[um]

no[n] stetit, et in cathe-

dra pestilencie non

sedit. Sed in lege

d[omi]ni voluntas eius

et in lege eius medi-

tabitur die ac nocte.

...

 

詩篇各節の冒頭は、最初の大文字(イニシアル)が2行にわたってオレンジがかった赤と青で交互に書かれ、長くのびる線条装飾で飾られているためひと目でそれと分かります。各詩行の最初の文字も、オレンジがかった赤と青で強調されています。

Photo2_verso

全く同じ聖書写本に由来する詩篇2葉が、東京の国立西洋美術館に所蔵されています(L.2015-0153:詩篇77,56-81,2、L.2015-0154:詩篇108,29-116,2)。美術史家の駒田亜紀子氏は、各節最初の大文字からのびる装飾や図像の特徴などから、もとの写本はパリではなく北フランス地域で1270-1280年頃に制作された可能性が高いと指摘しています。写本はその後、15世紀にHerbert家によって建設され、1646年に破壊されたラグラン城 Raglan Castle(英国ウェールズ南部)の図書室に所蔵されていたことが購入先の資料に記録されています。

 

彩飾画

巻頭の大文字Bは、青地にピンクで8行に渡って書かれています(約30 x 26 ミリ)。その上には、白色で蔦模様が書き込まれています。内側には赤い衣に青のガウンを羽織り、緑の脚で支えられた赤い椅子に座ったダヴィデ王が、5弦のゴシック・ハープをつまびく姿が描かれています。

Photo3

ダヴィデ王は右手で弦をはじきながら、ハープの先端にほどこされたピンク色の龍の装飾と目を合わせています。左手は楽器の支柱を支えているようにみえますが、手のひら全体がおそらく描かれていることから、両手で演奏しているのかもしれません(真ん中の白い部分は、インクの剥落です)。弦を胴体にとめる位置はおそらく正しくありませんが(同じ長さの弦を垂直に張る古代リラの影響か?)、楽器の本体にサウンドホール(共鳴穴)が黒色で三つ(?)描き込まれています。また腕木の上部には弦を巻き止めるペグと思われる丸みのある突起もみられ、楽器の細かい特徴をよくとらえています。

欄外下部(バ・ド・パージュ)には、弓を引く赤い脚の半獣人が描かれています(約23 x 18ミリ)。薄紫色のとんがり帽子(エナン帽?)をかぶっているところをみると、女性なのでしょうか。褐色の胸と青い尾の一部は、絵の具が剥落して羊皮紙の下地がのぞいています。右手で薄緑色の柄を握っているため左ききのようですが、体を正面にむけるために意図的に左右が逆に描かれているのかもしれません。オレンジ色の弦と左手が離れているため、弓を射った直後の瞬間をとらえているのでしょう。裏(ヴェルソ)ページの最後、ちょうど真後ろに書かれている言葉「弓を引き絞って構え」にモチーフを得ている可能性があります。

Photo4_bas_de_page

下半身から孔雀のように伸びた尾は1段目の端まで長くのばされ、そのまま2段目の下装飾に連結しています。その2段目の装飾の先端にも人物の顔が書かれていますが、頭にモロッコ風の赤いフェズ帽をかぶり、黒紫で顔が彩色されているところをみると地中海系の人物を意識しているのかもしれません。

欄外上部にも動物(ライオン ?)の前足と、おそらく人間の頭をもつ半獣人が書き加えられています。このように本文の飾り文字から独立したグロテスクあるいはドロルリーが描かれていることが、もと写本の制作地を探る手掛かりの一つになると駒田氏は指摘しています。

 

粉打ち(ポルヴェロ)法

欄外下部の半獣人をもう一度よく見ると、輪郭をなぞるように小さな穴があけられていることが分かります。これは粉末木炭や顔料を上からはたいて輪郭を転写するためにあけられた穴です。

Photo5

表 (recto)(部分)

Photo6_2

裏(verso)(部分)

 

イタリア語で「スポルヴェロspolvero」とよばれるこの転写技法は、フレスコ画や油画で用いられます。スポルヴェロのための下絵としては、パリのルーブル美術館に所蔵されているレオナルド・ダ・ヴィンチのイザベル・デステ肖像画や、ミラノのアンブロジアーナ絵画館に展示されているラファエロの『アテネの学堂』下絵が知られています。ルーヴル美術館にある『モナリザ』でも、スポルヴェロが用いられたことが確認されています。レオナルドやラファエロの原画では表面が汚れないように工夫されていたようですが、鶴見大学のこの弓を弾くグロテスクでは、図像の表面と周囲が転写の際に用いられた炭粉で黒ずんでいます。転写が試みられた時期は分かりませんが、半獣人が写本の綴じ側(内側)に描かれていることを考慮すると、もとの聖書写本から本葉が切り離された後ではないかと推察されます。いずれにしても中世の羊皮紙写本でスポルヴェロ法が用いられた珍しい例で、国際的にも極めて貴重な史料といえます。

 

【参考文献】

・駒田亜紀子「13世紀後半 北フランス制作『ラテン語ウルガータ訳聖書写本』―中世フランスの掌中の聖書―」『時計台』(関西学院大学図書館報)88号、2019年、2-13頁。

・駒田亜紀子「聖書零葉L.2015-0153, 0154」、駒田亜紀子、中田明日佳(編)『内藤コレクション写本カタログレゾネ : 国立西洋美術館所蔵』、西洋美術振興財団、2024 年、70-73頁。

・Bruno Mottin, « La Joconde nue, une étude de laboratoire », in: La Joconde nue, dir. Mathieu Deldicque, Chantilly, 2019, p. 64-79, part. p. 75-76.

・Bruno Mottin, « Léonard de Vinci et l'art du dessin. Une approche de laboratoire», in: Léonard de Vinci, dir. Vincent ・Delieuvin, Louis Frank, Paris, 2019, p. 370-384, part. p. 381-383.

・Alberto Rocca, Il Raffaello dell'Ambrosiana : in principio il cartone, Milano, 2019.

Valuable Illuminated Manuscripts and Printed Books. Thursday 11 July 2002, London: Christie's, 2002, p. 13.

 ※ 文中の詩篇訳は『新共同訳聖書』によるが、写本の表記に合わせて一部書き換えた。ラテン語原文の省略文字はカギカッコ内に記した。

 

⻄間⽊ 真 (中世⽂化史・中世写本)