古武士の一喝【研究室から】
徳川家康の噂話をひとつ。
(担当者はテレビをあまり見ませんので、なんどかドラマと関係なし)
家康は大病に苦しみ、医者も匙を投げてしまいました。
天正13年(1593)のこと。
本能寺の変から3年後、豊臣秀吉が関白となった年です。
壮年の家康も、治療をあきらめかけました。
その時、本多重次が家康の気弱を叱りつけます。
重次は家康より13歳年長、松平家譜代の老臣でした。
煮え切らない家康に立腹して帰ろうとする重次を家臣達が呼び止めますと、
これに対しても怒鳴りちらします。
3行目「重次大ニ声ヲ怒シテ」以下、読んでみてください。
7行目「大神君」(家康のこと)の上が1字空いています。
闕字と言う敬意表現ですので、日本語学の先生に聞いてみてはいかが。
さて、家康は諫言を聞き入れ、めでたく治癒にこぎつけました。
この重次は、簡潔な手紙によって広く知られています。
「一筆啓上、火の用心、おせん泣かすな、馬こやせ」の作左衛門です。
なお、本日は神君家康公のご命日でした。
鶴見大学文学部日本文学科研究室