梅花馥郁

2010/02/26

水戸の偕楽園で昨日撮りました。九代藩主斉昭が天保12年(1841)に藩校弘道館を創建、それと一対をなす遊園として翌年開園。梅の名所として知られています。

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樹ごとに異なる花の表情や、すがしい香りもさることながら、「弘道館記」の隷書(れいしょ)、「偕楽園記」の篆書(てんしょ)をはじめとする碑石、拓本、扁額(へんがく)、大字「尊攘」など、常陸国に息づく近世日本の「書」に所々で迎えられました。

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好文亭に置かれた説明書きにありましたが、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)「世を捨てて山に入る人山にてもなほ憂きときはいづちゆくらむ」の古歌に対し、最後を斉昭が「ここに来てまし」と変えて詠んだのにちなんで、来客が茶事を前に気持ちを落ち着けるためのひと間を「対古軒」とよぶのだそうです。

鶴見大学での仮名(かな)実技の授業では、基本的な練習をした後、「高野切(こうやぎれ)第三種」を臨書します。その仕上げに習う手本が水府明徳会所蔵の一葉、上と同じ「よをすてゝ」の歌(二玄社『日本名筆選』5、5頁)。「高野切」はもともと『古今和歌集』が書かれた巻き物でしたが、大部分が切り分けられて「古筆切(こひつぎれ)」になりました。その中でもこの歌は、行ごとに数文字ごとに切り離され、色紙形の紙に散らし書き風に貼り込まれて伝わっています。

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好文亭で「高野切」の一葉を前に、斉昭が語った遠い日があったのかもしれません。つらいのなら来てくれたらいい、と。

鶴見大学文学部 日本文学科