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2011年11月

2011年11月18日 (金)

休業日のお知らせ

11月21日と11月22日は全学研修日(休業)のため、

生涯学習センターは休業となります。

お電話でのお問い合わせも承れませんので、ご了承ください。

 

なお、御移転百年記念パネル展は、

11月21日(月)は施設点検のため、会場が休館となります。

パネル展は開催しておりませんので、ご注意ください。

22日開催しております。

 

【生涯学習センター休業日

 11月21日(月)全学研修日(開学記念日)

 11月22日(火)全学研修日

 11月23日(水・祝)勤労感謝の日

 

【御移転百年記念パネル展・休館日

 11月21日(月)施設点検

 

2011年11月16日 (水)

百年前の總持寺のにぎわい2 パネル展

「B-22 百年前の總持寺のにぎわい2 遷祖式、上棟式、荼毘式」講座は、

11月1日のフィールドワークをもって、好評のうちに終了しました。

ブログでフィールドワークの様子をお伝えし忘れていました。

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その講座に関連する展示が大学会館1階で行われています。

昨年も大好評だったパネル展示『百年前の總持寺のにぎわい』です。

 

百年前の總持寺のにぎわい2 御移転百年記念パネル展

 【会期】 平成23(2011)年11月14日(月)~27日(日)

 【会場】 鶴見大学会館1階センタープラザ

 ※展観会場の入場時間は下記の通りです。

 【平日】 午前9:00~午後6:00(但し、21日は終日閉室)

 【土・日曜日】 午前9:00~午後4:00(但し、19日は終日閉室)

 ※関根透研究員の解説を下記の通り予定しています。

   11月26日(土) 13:00~14:00

 【主催】 鶴見大学仏教文化研究所

 【共催】 鶴見大学生涯学習センター

 

百年前の明治44年11月5日に行われた御移転遷祖式・放光堂上棟式、

翌6日に行われた西有穆山禅師荼毘式の三つを中心としたパネル展示です。

ぜひ、足をお運びください。

入場無料・見学自由です。

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2011年11月15日 (火)

忘れ去られた鎌倉の姿 FW4 東慶寺・浄智寺・浄光明寺

今日11月13日(日)は、「B-24忘れ去られた鎌倉の姿」の

4回目のフィールドワーク「東慶寺・浄智寺・浄光明寺を訪ねる」です。

B-24 忘れ去られた鎌倉の姿 は、

本学文学部文化財学科が担当する講座で、

書き記された歴史と、発掘調査でわかった事実を学んで、

さらに現地で実感(再確認)する講座です

フィールドワークは、本学文学部文化財学科実習助手の福田誠先生がご担当です。

パンフレット内容はこちら【PDFファイル】)

 

天気予報は晴れ、気温も21℃と、この時期にしては暖かく(暑いかも?)、

絶好のフィールドワーク日和です。

北鎌倉駅で下車、ホーム内の踏み切りを渡って、駅舎改札前に10時に集合。

いよいよ出発です。

今回のフィールドワークも福田先生が講師です。

各所で先生からの説明を受けながら拝観・見学します。

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まずは、最初の目的地である東慶寺へ。

東慶寺は松ヶ岡御所ともいわれ、「駆け込み寺」「縁切り寺」と呼ばれる尼寺です。

梵鐘や墓所(歴代住職や有名人の墓も多数あり)、泰平殿などを拝観の後、

松ヶ岡宝蔵(土門装飾の聖観音立像、

葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱、縁切り文書など)を見学しました。

皆さん、縁切り文書を真剣に読んでいらっしゃいましたが…?

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続いて、浄智寺へ移動。

浄智寺は鎌倉五山第4位の寺です。

鐘楼門、仏殿(曇華殿)などを拝観しました。

入口の防火水槽工事の際に発見された常滑大甕の中から古銭(推定18万枚)が発見され、

現在、鶴見大学で調査中だそうです。

(一枚一枚、錆などを落としてどんな銭なのか確認するそうですが、今は7万枚辺り…?)

さて、次に浄智寺背後の天柱峰(海抜97m)を越え、源氏山を目指し、

日野俊基墓に到着、拝観を終え、源氏山公園で昼食・休憩です。

各自、鳶に注意しながら(烏が多いせいか、思ったより鳶は少なく)

昼食を済ませ、後半に備えます。

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13時10分、午後の部のスタートです。

化粧坂を下り(所々に白いものが混じった岩がありますが、

貝の化石だそうで、この辺りが海だったことが分かります)、岩舟地蔵堂へ。

途中、亀ヶ谷坂などの説明を聞きながら、泉谷山浄光明寺へ。

浄光明寺は、前回の講義をしていただいたご住職の大三輪龍哉先生のお寺です。

ますは、浄光明寺執事の古田土さんから説明を受け、山内を拝観・見学しました。

阿弥陀如来及び両脇侍坐像は東京国立博物館にお出ましのため拝観できませんでしたが、

木造愛染明王坐像、木造不動明王坐像、木造地蔵菩薩(矢拾地蔵)が拝観でき、

石造地蔵菩薩坐像(編引地蔵)なども拝観しました。

その他、山内には令泉為相墓、浄光明寺五輪塔(覚賢塔)、庭園などもあります。

今回は特別拝観もあり、受講者の皆さんは満足されていたようです。

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最後に実朝・政子の供養塔を見学してから、鎌倉駅で3時20分頃に解散となりました。

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歩いていると少し暑く感じられましたが、気持ちのよい秋の一日でした。

受講者の皆さんや先生のお陰で、事故もなく無事に終えることができました。

有難うございました。

お疲れ様でした。

次期の鎌倉も、よろしくお願いします。

 

2011年11月14日 (月)

文化財スタディ・ツアー(12) 伝説とロマンの島、隱岐へ 3日目

11月4日(金)~6日(日)は、文化財スタディ・ツアーの開催日でした。

12回目の今回は、「伝説とロマンの島、隱岐へ」。

10月29日(土)に事前講義を行い、現地を先生の解説を聞きながら歩く人気講座です。

講師は関幸彦先生(日本大学教授)です。

今回は、最終日3日目の様子をお送りします。

パンフレット内容はこちら【PDFファイル】

 

6/6(日)曇り  第三日目

最終日は参加者、関先生の願いが叶い曇りとなる。

最終日の行程は、観光バスで島後(隠岐の島町:隠岐の島で一番大きな島)隠岐国分寺=

水若酢神社=白鳥展望台=浄土ヶ浦海岸=昼食=佐々木家=玉若酢命神社=

フェリーで七類港、米子鬼太郎空港から羽田空港

 

最初の見学地「隠岐国分寺」に向かう。

「隠岐国分寺」本堂(昭和に再建され2007年2月焼失)の後方に

棚囲いの建物があったことを示す礎石郡 隠岐国分寺境内(国史跡)」がある。

元弘の変で隠岐に配流となった後醍醐天皇の行在所跡と云われている。

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写真(1):隠岐国分寺の山門に向かう。

写真(2):隠岐国分寺の境内。奥に行在所跡が見える。

写真(3):参道横の南門跡・中門跡の礎石などを説明する。

写真(4)(5):後醍醐天皇御在所阯・隠岐国分寺境内

写真(6):後醍醐天皇後尊像を祀る王城鎮守社

写真(7):資料館で「隠岐国分寺」の由来などを説明する。

資料館は、国の重要無形民俗文化財「隠岐国分寺蓮華会舞(れんげえまい)」の

資料展示や公演会場となっている。

写真(8):焼失した本堂の「本堂再建の地」発掘調査(調査中)場所

(昭和に再建された本堂は、2007.2.25本堂から出火し全焼。

国の重要無形民俗文化財の古典芸能「蓮華会舞(れんげえまい)」に使われる

面9枚(平安―桃山時代)も焼失した。)

写真(9):御住職より本堂焼失、発掘調査のお話を聞く。

    創建当時の瓦や柱に巻かれた飾り瓦などが出土し奈良時代の物と思われる。

    まだ調査中で今後の調査が楽しみである。

 

次に、水若酢神社(本殿は1795年の再興された物)、

古墳、隠岐島の民俗資料や伝統文化伝承施設を見学する。

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写真(2):水若酢神社の由来や、本殿(国指定)を説明する。

写真(3)(4):本殿を見ながら、隠岐地方の特色である「隠岐造り」について説明する。

写真(5):今日挙式があるとのこと、固めの杯が見える。

写真(6):水若酢神社古墳群のひとつを見学。横穴式石室で石棺二基が見つかる。

写真(7)(8):隠岐郷土館(明治18年隠岐四郡役所として建造。

明治100年記念事業で現在の地に移築)で

近代魚法以前の魚撈や生活用具と「竹島」の資料などを見学する。

写真(9)(10):「五箇創生館」で隠岐古典相撲や牛突きの映像を見る。

 (9)の土俵は鏡餅の様に三重土俵。

 (10)牛突きの牛(横綱牛の剥製)

  (相撲の勝者に土俵脇の四本柱が与えられ、

   相撲は神事として地域の代表として取られる。最高位は大関である。

   牛突きは隠岐が最も歴史が古く盛んであるそうで、

   人間の相撲にはない横綱も牛にはある。

   掛かる経費は自前で主婦は大変とのこと・・・。)

 

神社を後にし、次の白鳥展望台に向かう。

バスを降りて、展望台まで散策。

日本海の先は朝鮮半島。快晴でも見えないそうです。

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次に向かうのは、浄土ヶ浦海岸

晴れていると岩礁群と透き通った海との対比は独特の世界を演出するそうです。

残念です。

みんな海岸に降りて一時の休憩を取る。

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昼食時間まで、少し時間が空いたので島で数少ない海水浴場「春日の浜」と、

目の前の春日神社による。

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昼食は、海藻ご飯と海の幸を楽しむ。食事処降りるとこんな景色が広がる。

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休憩の後、午後の行程に入る。

先ず「佐々木家住宅」に向かう。

佐々木家住宅は隠岐最古の木造住宅で、

母屋は杉皮葺きの石置き屋根が特徴。(国有形文化財)

土間に入ると生活用具があり、囲炉裏の火で少し煙たい。

管理人からカミノマなどの各部屋の説明を頂く。

屋根に約800個の石をのせているとのこと、頑丈な柱が支えている。

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最後の見学地「玉若酢命神社」に向かう。

「玉若酢命神社」は、隠岐開拓の祖神といわれる若酢命を祀り、

本殿は国重要文化財である。

先ず神社の社家「億岐家住宅(国重文)」で宝物館には、

隠岐国駅鈴や光格天皇から贈った唐櫃・隠岐倉印(いずれも国重文)」などが展示。

「駅鈴」は二個あり、

日本で唯一現存する物で往復はがき(昭和51年~56年に発行)で使用された。

「億岐家住宅」脇の鳥居を通り「玉若酢命神社」に向かう。

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写真(1):億岐家住宅

写真(2):「玉若酢命神社」大鳥居

写真(3):樹齢1000年とも2000年とも云われる八百杉(国指定天然記念物)が出迎える。

写真(4):拝殿

写真(5)(6):本殿造りの解説をする関先生。

神社右の丘陵には、14基の古墳群(県史跡)があり

前方後円墳(全長32m)に向かい跡地で説明を受ける。

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今回のツアーは、現地の移動は船とバスの乗降り、天気も色々でしたが何とか無事終了。

一路七類港に向け隠岐の島を後にする。

2時間半船旅となる。

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当初海が荒れる予報でしたが参加の皆様、先生のお蔭で穏やかな船旅となりました。

有り難うございました。

七類港から米子鬼太郎空港へバスで移動。

米子鬼太郎空港で一応解散し、羽田空港へ

以上、全行程終了です。

 

2011年11月12日 (土)

文化財スタディ・ツアー(12) 伝説とロマンの島、隱岐へ 2日目

11月4日(金)~6日(日)は、文化財スタディ・ツアーの開催日でした。

12回目の今回は、「伝説とロマンの島、隱岐へ」。

10月29日(土)に事前講義を行い、現地を先生の解説を聞きながら歩く人気講座です。

講師は関幸彦先生(日本大学教授)です。

今回は、2日目の様子をお送りします。

パンフレット内容はこちら【PDFファイル】

 

6/5(土)雨  第二日目

先生の願い虚しく雨となる。

二日目の予定は、貸切バスで隠岐神社・海士町後鳥羽院資料館=

貸切観光船で国賀海岸=昼食=

貸切バスで由良比女神社=赤尾展望台=国賀浜=摩天涯=

黒木御所=フェリー別所港から島後(どうご)隠岐の島町へ

 

宿を8:30出発

貸切バスで隠岐神社・海士町後鳥羽院資料館へ向かう。

途中、村上家(車中で見学)「村上家は、村上天皇とも、

瀬戸内の村上水軍のながれをくむといわれる。

後鳥羽院上皇が隠岐に流されとときは、村役人の代表として世話をした。

門は後鳥羽院上皇の行在所で、明治の廃仏毀釈で焼失した源福寺にあったものといわれる。

現在は住居として使用しているため見学できず。

資料は海士町後鳥羽院資料館に展示されている。」

 

隠岐神社・海士町後鳥羽院資料館に到着。

石棚囲いのなかに、後鳥羽院上皇の行在所(隠岐の仮御所)であった

源福寺跡の礎石が残っている。

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そして、隠岐神社に向かう。

隠岐神社は後鳥羽院上皇の没後700年祭を記念して

1939年に、後火葬場の隣接地に造営られた。

本殿は隠岐造りの立派なものである。

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後鳥羽院上皇は、武芸と学問に優れ、

『新古今集』の中から367首の『隠岐本新古今集』を選定したり、

都から御番鍛冶を招いて刀鍛冶などもされた。

刀を打つことを好み、刀工の鍛冶に好みの兵庫鎖拵えを打たせた。

また自らも刃紋を入れそれに十六弁の菊紋を入れた(菊一文字)。

「御所焼」「菊御作」と呼ばれる。

天皇家の菊紋のはじまりとされる。

拝殿右側の石碑「月山源貞一奉納刀打初之所」で説明する関先生。

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後鳥羽院上皇の火葬塚(隠岐島前で生涯を閉じた後鳥羽上皇が埋葬された場所)

1221年の承久の乱で、鎌倉幕府倒幕の兵をあげ敗れた後鳥羽上皇は、

隠岐に配流となり、19年間を隠岐で過ごして延応元年(1239)に60歳で崩御した。

遺骨の一部は京都に持ち帰られたが、その他の遺骨は廟殿に納められた。

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後鳥羽院上皇に関するものや来国光作の太刀、

村上家所蔵の上皇の遺品などが展示されている。

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次の目的地見学のため、別府港より貸切観光船(一日目と同じ船員)にて

国賀海岸(摩天涯、通天橋、明暗の岩屋など)を観光する。

途中船引運河を通り外海へ。

天気小雨なれど波静かなリ。

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写真(1)(2):観光船の船内

写真(3)(4):船引運

写真(5):亀島

写真(6):摩天崖(高さ257mの大絶壁)

写真(7):国賀浜の国賀神社

写真(8):国賀浜上陸

写真(9):国賀浜から通天橋を見る

写真(10):船着場から国賀浜を後にする

写真(11):滝見の岩屋(白い岩が滝のように見える)

写真(12)~(15):明暗の岩屋(200mの海上洞窟)

写真(16):国賀海岸を後にし、昼食先の半田の隠岐シーサイドホテルに向かう。

 

2日目の昼食は隠岐シーサイドホテルのレストランで白イカの刺身などを堪能する。

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午後は、貸切バスにて観光協会の案内テープによる説明にて、見学地を周る。

「由良比女神社」車中にて、後で見学する。

午前中観光船にて見学した所をバスで周る。

残念ながら外は雨と霧で視界不良である。

摩天崖さらに濃霧のためバスから降りず引き返す。

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写真(1)~(4):尾展望台。うっすらと海岸線が見える

写真(5)(6):国賀浜 午前中上陸し通天橋を見た場所

晴れているとこんな景色である。

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「由良比女神社(ゆらひめじんじゃ)」は海上安全の守護神として信仰を集める神社で、

本殿は、春日造変態で、向拝唐破風、俗に枡形明神造というらしい。

道路から、社殿の側面が見えるが、拝殿・幣殿・本殿と繋がった形は美しい。

神社と拝殿、本殿の造りについて説明する先生。

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由良比女神社とくにイカの神様として知られ、

前の由良の浜には毎年10月から翌年2月にかけてイカが押し寄せ、

別名「いか寄せの浜」と呼ばれている。

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次に、後醍醐天皇の行在所だったと島に伝わる「黒木御所跡」に向かう。

途中、「後醍醐天皇御腰掛石」の史跡を見学。

(黒木の御所で密かに島から脱出を計画し、船を待つ間休憩したと伝わる石)

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黒木御所跡に到着、「碧風館」(資料館)が閉まっていたので、

御所跡を見学し、隠岐は配流となった際雇従してきた

三位局(阿野康子:天皇に特に寵妃された方)の屋敷後を見学する。

帰り際に資料館の職員とバスですれ違い、再度戻って資料館を見学する。

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写真(1):雨の中、急な石段登る。

写真(2)(3):行在所だったと島に伝わる「黒木御所跡」

写真(4):「黒木御所跡」のある黒木山(天皇山)から湾内を望む。

写真(5):配流となった際、雇従してきた三位局の屋敷後を見学。竹やぶの中の史跡

写真(6):「碧風館」(資料館)展示資料見ながら関先生り説明を受ける。

 

本日の行程は無事終了、別府港よりフェリー「しらしま」(初日乗船してきた船)に乗り、

「島前」を後にし「島後(隠岐の島町)」西郷港へ向かう。約80分の船旅となる。

 

西郷港では、目玉おやじと一反木綿が出迎え、宿のバスにのりホテルに着く。

疲れを癒し食事を取る。一日目と同じで宴席で隠岐の味を楽しむ。

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二日目は雨となったが最終日の晴天とは望まないが雨が降りません様に・・・。

(つづく)

 

2011年11月11日 (金)

文化財スタディ・ツアー(12) 伝説とロマンの島、隱岐へ 1日目

11月4日(金)~6日(日)は、文化財スタディ・ツアーの開催日でした。

12回目の今回は、「伝説とロマンの島、隱岐へ」。

10月29日(土)に事前講義を行い、現地を先生の解説を聞きながら歩く人気講座です。

講師は関幸彦先生(日本大学教授)です。

今回は、1日目の様子をお送りします。

パンフレット内容はこちら【PDFファイル】

 

文化財スタディ・ツアー(12) 伝説とロマンの島、隠岐へ

23.11.4(金)~11.6(日)

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11/4(金)快晴  第一日目

羽田空港集合 9:00

一日目は、羽田空港から米子鬼太郎空港へ。

そして境港よりフェリーで別府港へ、

観光船で菱浦港「島前(どうぜん)」海士町の宿泊地への移動となる。

途中、境港で昼食を取り、フェリー出航までの時間を利用し、

境港駅前水木しげるロードを散策する。

昼食場所(大漁市場)にてお土産の品定めをしながら各自で昼食をとる。

一部の方は、近隣の回転寿司で地魚を楽しむ。

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境港駅前で鬼太郎、ねずみ男、目玉おやじと遊びながら

執筆に没頭する水木しげるが出迎える。(1)

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山陰の地図を見ながら見学地隠岐の島を説明する関先生。(2)

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その後、水木しげるロードを散策妖怪たちが出迎える。(3)

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写真(4):鬼太郎(赤ん坊)とお父さん

写真(5):こなき爺

写真(6):目玉おやじ

 

いよいよ隠岐の島へ向けて出航、

フェリーは予約席穏やかな日本海(隠岐海峡)の約3時間、

客室やデッキ・上甲板椅子席で潮風を浴びながら船旅を楽しむ。

西ノ島町別府港で貸切観光船に乗換え一日目の宿泊地海士町菱浦港へ向かう。

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写真(1):フェリー「しらしま」

写真(2):境港港出港

写真(3)(4)(5):穏やかな日本海(隠岐海峡)と島前知夫村辺りの夕日

写真(6)(7):フェリーから貸切観光船(定員30名程度)に乗換え、穏やかな湾内を進む。

写真(8):観光船前方に宿泊のホテルが見える。

 

初日は、飛行機、船の移動で終了。

温泉で疲れをとり、二日目の快晴を願い床に就く。

(つづく)

 

2011年11月 9日 (水)

【休講情報】D-5 優雅な書(中~上級)

「D-5 優雅な書(中~上級) かな文字で自由に自己表現をしてみよう」の

日程変更をお知らせします。

 

 休講日:12月7日(水)(第10回目)

 補講日:12月21日(水)

 

台風の影響で振り替えた補講日(休講情報)でしたが、

講師の都合により、再度の日程変更になってしまい、誠に申し訳ございません。

 

※受講者には、事前に文書にて通知しております。

 

当該講座のお問い合わせは生涯学習センターへ

℡045-574-8686

 

2011年11月 5日 (土)

英語でプレゼン

第2クール、注目の新規講座new

英語でプレゼン ―基礎編―

外資系企業や社内で英語を公用語にする動きが多くなっています。

そういった企業は、プレゼンテーションも当然英語で行われるでしょう。

英語はある程度話せるけど、プレゼンはちょっと・・・ng。という方も多いはず。

この講座では、プレゼンテーションとは何か、

その準備や構築のコツを学び、演習として英語でプレゼンを行います。

講師は、実際に企業でプレゼンテーションのトレーニングを担当しているベテランです。

全3回で1回2時間、びっちりプレゼンを学べて、この受講料yenは、お得ですよ。

プレゼンが苦手な人、注目の講座です。

E-6 英語でプレゼン ―基礎編―

【講師】 深山 敏郎 ((株)ミヤマコンサルティンググループ 代表取締役)

【期間】 11/26(土)~12/10(土) 全3回

【時間】 10:00~12:00

【受講料】 10,000円

パンフレット内容はこちら

 

<申込方法>

必ずパンフレット内容で日程等をご確認ください。

下記【申込書】もしくは、パンフレット巻末のセミナー応募ハガキに必要事項をご記入の上、

郵送・FAXまたは窓口でお申込みください(先着順)。

ただし、お電話でのお申込みやご予約はできません。

お申込み前にこちらを必ずお読みください。 「お申込みから受講まで」

【申込書】ダウンロード

 

鶴見大学生涯学習センター「出会いの広場」

 〒230-0062
 横浜市鶴見区豊岡町3-18 鶴見大学会館内
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2011年11月 2日 (水)

忘れ去られた鎌倉の姿 フィールドワーク3 極楽寺周辺

10月30日(日)は、B-24 忘れ去られた鎌倉の姿 の

フィールドワーク3 極楽寺周辺の文化財巡り の開催日でした。

B-24 忘れ去られた鎌倉の姿 は、

本学文学部文化財学科が担当する講座で、

書き記された歴史と、発掘調査でわかった事実を学んで、

さらに現地で実感(再確認)する講座です

フィールドワークは、本学文学部文化財学科実習助手の福田誠先生がご担当です。

パンフレット内容はこちら【PDFファイル】)

 

当日は10時に江ノ島電鉄の長谷駅改札前に集合です。

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空の雲が気にかかりますが、日差しがないほうがかえって暑くなくていい、

今日はフィールドワーク日和だと、皆で励ましあいながら出発です。

本日の参加は36人、先生、引率者を含めると39人で過去最多の人数となりました。

 

まずは鎌倉大仏の方面へ向かいます。

まずあるのは「桑ヶ谷療養所跡」。

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この後に向かう「極楽寺」を開山した忍性によって開かれた施薬院の跡です。

さまざまな疫病が流行したときに、北条時宗が貧民救済のために忍性に命じて

開かせたと伝えられているそうです。

 

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今日は大仏様も拝観せず、大仏坂の切通しも通らず、横の大仏トンネルを通ります。

 

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途中で通称「おばけトンネル」を通りました。(正式な名前はわかりません。)

今もほとんど照明がなく、暗いトンネルですが、昔は素ぼりのトンネルだったそうです。

 

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「月影地蔵尊」。阿仏尼の「十六夜日記」に、

『あづまにてすむ所は、月かげのやつとぞいふなる。』として名前が出ています。

月影ヶ谷の阿仏尼邸にあったお地蔵さまをこの地に移したと伝えられています。

 

「月影地蔵尊」近くの稲村ヶ崎小学校奥のグラウンドの奥に、忍性の墓があるそうです。

入口近くまで近づきお話を伺いましたが、残念ながら見ることはできません。

忍性墓は、4月8日(はなまつり)のみ特別公開されるそうです。

 

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極楽寺のすぐ近くにある「導地蔵尊」。

お地蔵様のその視野の中では、子どもたちを見守って

災難から守ってくださる、と言われているそうです。

 

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「極楽寺」。江ノ電の線路のすぐ脇にあります。

北条重時が創建し、子の北条長時が当時多宝寺にいた忍性を招き開山したお寺です。

宝物殿に入り、さまざまな什宝を見せていただきました。

境内にあるさるすべりの木は、樹齢200年以上だとか。

 

江ノ電の線路沿いを歩いていくと、次にあるのが「阿仏尼邸跡」。

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阿仏尼の家のあった場所は、正確には不明ですが、

おそらくこの辺りだろうといわれているそうです。

十六夜日記に書かれています。

江ノ電の線路のギリギリ、踏み切りのところに碑がたっています。

 

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「針磨橋」。

針金を磨き、針を造っていたといわれています。

七里ヶ浜から極楽寺周辺は砂鉄の良い採集場だったそうです。

  

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稲村ガ崎。

ここで1時間弱のお昼休憩となりました。

ここは、「新田義貞徒渉伝説地」として、石碑がたっています。

新田義貞の鎌倉攻めの際、海に黄金の太刀を投げ入れて龍神に祈願すると、

潮が引き稲村ヶ崎を突破できたという伝説があります。

 

ここにはトンビが本当にたくさんいました。

奴らは背後から狙ってくるため、壁を背にしていると大丈夫だそうです。

また、横から狙う場合もあるので、カーブしている壁だとさらに良いそうです。

 

稲村ガ崎の砂浜は黒いです。

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先ほど見た「針磨橋」でも説明されましたが、

この辺りは砂鉄がとれるため、砂浜がこのような色だそうです。

同じ海岸線でも、少し離れると色がかわるそうです。

 

お腹がいっぱいになったところで、出発です。

 

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「十一人塚」。鎌倉攻めで討ち死にした宗氏以下11人が葬られた場所です。

 

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十一人塚のすぐ近くにある「袈裟懸松の碑」。

日蓮が龍ノ口の刑場へ連れて行かれるとき、

この地の松の木に自分の袈裟を掛けたといわれています。(松の木は残っていません。)

なお、処刑は怪異のために中止となったそうです。

 

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江ノ電の線路の脇を歩きます。

線路と道路の間に柵がないため、まるで路面電車のようです。

 

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「伝上杉憲方墓」。極楽寺の近くにあります。

かなり細い階段・道に入ったところにあります。

入口で、道行く人に「この先に何があるのですか。」と質問されました。

奥の七層塔が憲方の墓で、手前の塔が妻のものとされているそうです。

 

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極楽寺切通。開削された当時は、位置的にはもっと上の方にあったそうです。

(現在は当時の切通しをさらに掘り下げているそうです。)

今回は切通しを通らず、横の成就院への道を通ります。

 

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石段の途中から海が見えます。

現在の海を眺めながら、昔の地形についてお話を聞きます。

階段の脇には紫陽花が植えられていて、

紫陽花の時期には大混雑の場所ですが、今日はとても静かでした。

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坂ノ下の海岸です。

先ほどお昼を食べた稲村ガ崎と比べると、確かに砂浜の色が違います。

 

このあたりでパラパラと雨がちらついてきました。

少し急ぎ足で集合場所の長谷駅までもどります。

今回はこちらで解散となります。

 

今日は雨の予報ではなかったので、

傘を持っていない受講者もいらっしゃいましたが、なんとか最後までくることができました。

今期のフィールドワークでは、まだ一度も雨に降られていません。

今回もなんとかセーフだったと思います。

 

次回のフィールドワークは11月13日を予定しています。

次も晴れると良いですね。