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2011年11月12日 (土)

文化財スタディ・ツアー(12) 伝説とロマンの島、隱岐へ 2日目

11月4日(金)~6日(日)は、文化財スタディ・ツアーの開催日でした。

12回目の今回は、「伝説とロマンの島、隱岐へ」。

10月29日(土)に事前講義を行い、現地を先生の解説を聞きながら歩く人気講座です。

講師は関幸彦先生(日本大学教授)です。

今回は、2日目の様子をお送りします。

パンフレット内容はこちら【PDFファイル】

 

6/5(土)雨  第二日目

先生の願い虚しく雨となる。

二日目の予定は、貸切バスで隠岐神社・海士町後鳥羽院資料館=

貸切観光船で国賀海岸=昼食=

貸切バスで由良比女神社=赤尾展望台=国賀浜=摩天涯=

黒木御所=フェリー別所港から島後(どうご)隠岐の島町へ

 

宿を8:30出発

貸切バスで隠岐神社・海士町後鳥羽院資料館へ向かう。

途中、村上家(車中で見学)「村上家は、村上天皇とも、

瀬戸内の村上水軍のながれをくむといわれる。

後鳥羽院上皇が隠岐に流されとときは、村役人の代表として世話をした。

門は後鳥羽院上皇の行在所で、明治の廃仏毀釈で焼失した源福寺にあったものといわれる。

現在は住居として使用しているため見学できず。

資料は海士町後鳥羽院資料館に展示されている。」

 

隠岐神社・海士町後鳥羽院資料館に到着。

石棚囲いのなかに、後鳥羽院上皇の行在所(隠岐の仮御所)であった

源福寺跡の礎石が残っている。

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そして、隠岐神社に向かう。

隠岐神社は後鳥羽院上皇の没後700年祭を記念して

1939年に、後火葬場の隣接地に造営られた。

本殿は隠岐造りの立派なものである。

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後鳥羽院上皇は、武芸と学問に優れ、

『新古今集』の中から367首の『隠岐本新古今集』を選定したり、

都から御番鍛冶を招いて刀鍛冶などもされた。

刀を打つことを好み、刀工の鍛冶に好みの兵庫鎖拵えを打たせた。

また自らも刃紋を入れそれに十六弁の菊紋を入れた(菊一文字)。

「御所焼」「菊御作」と呼ばれる。

天皇家の菊紋のはじまりとされる。

拝殿右側の石碑「月山源貞一奉納刀打初之所」で説明する関先生。

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後鳥羽院上皇の火葬塚(隠岐島前で生涯を閉じた後鳥羽上皇が埋葬された場所)

1221年の承久の乱で、鎌倉幕府倒幕の兵をあげ敗れた後鳥羽上皇は、

隠岐に配流となり、19年間を隠岐で過ごして延応元年(1239)に60歳で崩御した。

遺骨の一部は京都に持ち帰られたが、その他の遺骨は廟殿に納められた。

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後鳥羽院上皇に関するものや来国光作の太刀、

村上家所蔵の上皇の遺品などが展示されている。

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次の目的地見学のため、別府港より貸切観光船(一日目と同じ船員)にて

国賀海岸(摩天涯、通天橋、明暗の岩屋など)を観光する。

途中船引運河を通り外海へ。

天気小雨なれど波静かなリ。

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写真(1)(2):観光船の船内

写真(3)(4):船引運

写真(5):亀島

写真(6):摩天崖(高さ257mの大絶壁)

写真(7):国賀浜の国賀神社

写真(8):国賀浜上陸

写真(9):国賀浜から通天橋を見る

写真(10):船着場から国賀浜を後にする

写真(11):滝見の岩屋(白い岩が滝のように見える)

写真(12)~(15):明暗の岩屋(200mの海上洞窟)

写真(16):国賀海岸を後にし、昼食先の半田の隠岐シーサイドホテルに向かう。

 

2日目の昼食は隠岐シーサイドホテルのレストランで白イカの刺身などを堪能する。

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午後は、貸切バスにて観光協会の案内テープによる説明にて、見学地を周る。

「由良比女神社」車中にて、後で見学する。

午前中観光船にて見学した所をバスで周る。

残念ながら外は雨と霧で視界不良である。

摩天崖さらに濃霧のためバスから降りず引き返す。

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写真(1)~(4):尾展望台。うっすらと海岸線が見える

写真(5)(6):国賀浜 午前中上陸し通天橋を見た場所

晴れているとこんな景色である。

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「由良比女神社(ゆらひめじんじゃ)」は海上安全の守護神として信仰を集める神社で、

本殿は、春日造変態で、向拝唐破風、俗に枡形明神造というらしい。

道路から、社殿の側面が見えるが、拝殿・幣殿・本殿と繋がった形は美しい。

神社と拝殿、本殿の造りについて説明する先生。

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由良比女神社とくにイカの神様として知られ、

前の由良の浜には毎年10月から翌年2月にかけてイカが押し寄せ、

別名「いか寄せの浜」と呼ばれている。

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次に、後醍醐天皇の行在所だったと島に伝わる「黒木御所跡」に向かう。

途中、「後醍醐天皇御腰掛石」の史跡を見学。

(黒木の御所で密かに島から脱出を計画し、船を待つ間休憩したと伝わる石)

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黒木御所跡に到着、「碧風館」(資料館)が閉まっていたので、

御所跡を見学し、隠岐は配流となった際雇従してきた

三位局(阿野康子:天皇に特に寵妃された方)の屋敷後を見学する。

帰り際に資料館の職員とバスですれ違い、再度戻って資料館を見学する。

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写真(1):雨の中、急な石段登る。

写真(2)(3):行在所だったと島に伝わる「黒木御所跡」

写真(4):「黒木御所跡」のある黒木山(天皇山)から湾内を望む。

写真(5):配流となった際、雇従してきた三位局の屋敷後を見学。竹やぶの中の史跡

写真(6):「碧風館」(資料館)展示資料見ながら関先生り説明を受ける。

 

本日の行程は無事終了、別府港よりフェリー「しらしま」(初日乗船してきた船)に乗り、

「島前」を後にし「島後(隠岐の島町)」西郷港へ向かう。約80分の船旅となる。

 

西郷港では、目玉おやじと一反木綿が出迎え、宿のバスにのりホテルに着く。

疲れを癒し食事を取る。一日目と同じで宴席で隠岐の味を楽しむ。

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二日目は雨となったが最終日の晴天とは望まないが雨が降りません様に・・・。

(つづく)