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2011年11月 2日 (水)

忘れ去られた鎌倉の姿 フィールドワーク3 極楽寺周辺

10月30日(日)は、B-24 忘れ去られた鎌倉の姿 の

フィールドワーク3 極楽寺周辺の文化財巡り の開催日でした。

B-24 忘れ去られた鎌倉の姿 は、

本学文学部文化財学科が担当する講座で、

書き記された歴史と、発掘調査でわかった事実を学んで、

さらに現地で実感(再確認)する講座です

フィールドワークは、本学文学部文化財学科実習助手の福田誠先生がご担当です。

パンフレット内容はこちら【PDFファイル】)

 

当日は10時に江ノ島電鉄の長谷駅改札前に集合です。

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空の雲が気にかかりますが、日差しがないほうがかえって暑くなくていい、

今日はフィールドワーク日和だと、皆で励ましあいながら出発です。

本日の参加は36人、先生、引率者を含めると39人で過去最多の人数となりました。

 

まずは鎌倉大仏の方面へ向かいます。

まずあるのは「桑ヶ谷療養所跡」。

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この後に向かう「極楽寺」を開山した忍性によって開かれた施薬院の跡です。

さまざまな疫病が流行したときに、北条時宗が貧民救済のために忍性に命じて

開かせたと伝えられているそうです。

 

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今日は大仏様も拝観せず、大仏坂の切通しも通らず、横の大仏トンネルを通ります。

 

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途中で通称「おばけトンネル」を通りました。(正式な名前はわかりません。)

今もほとんど照明がなく、暗いトンネルですが、昔は素ぼりのトンネルだったそうです。

 

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「月影地蔵尊」。阿仏尼の「十六夜日記」に、

『あづまにてすむ所は、月かげのやつとぞいふなる。』として名前が出ています。

月影ヶ谷の阿仏尼邸にあったお地蔵さまをこの地に移したと伝えられています。

 

「月影地蔵尊」近くの稲村ヶ崎小学校奥のグラウンドの奥に、忍性の墓があるそうです。

入口近くまで近づきお話を伺いましたが、残念ながら見ることはできません。

忍性墓は、4月8日(はなまつり)のみ特別公開されるそうです。

 

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極楽寺のすぐ近くにある「導地蔵尊」。

お地蔵様のその視野の中では、子どもたちを見守って

災難から守ってくださる、と言われているそうです。

 

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「極楽寺」。江ノ電の線路のすぐ脇にあります。

北条重時が創建し、子の北条長時が当時多宝寺にいた忍性を招き開山したお寺です。

宝物殿に入り、さまざまな什宝を見せていただきました。

境内にあるさるすべりの木は、樹齢200年以上だとか。

 

江ノ電の線路沿いを歩いていくと、次にあるのが「阿仏尼邸跡」。

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阿仏尼の家のあった場所は、正確には不明ですが、

おそらくこの辺りだろうといわれているそうです。

十六夜日記に書かれています。

江ノ電の線路のギリギリ、踏み切りのところに碑がたっています。

 

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「針磨橋」。

針金を磨き、針を造っていたといわれています。

七里ヶ浜から極楽寺周辺は砂鉄の良い採集場だったそうです。

  

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稲村ガ崎。

ここで1時間弱のお昼休憩となりました。

ここは、「新田義貞徒渉伝説地」として、石碑がたっています。

新田義貞の鎌倉攻めの際、海に黄金の太刀を投げ入れて龍神に祈願すると、

潮が引き稲村ヶ崎を突破できたという伝説があります。

 

ここにはトンビが本当にたくさんいました。

奴らは背後から狙ってくるため、壁を背にしていると大丈夫だそうです。

また、横から狙う場合もあるので、カーブしている壁だとさらに良いそうです。

 

稲村ガ崎の砂浜は黒いです。

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先ほど見た「針磨橋」でも説明されましたが、

この辺りは砂鉄がとれるため、砂浜がこのような色だそうです。

同じ海岸線でも、少し離れると色がかわるそうです。

 

お腹がいっぱいになったところで、出発です。

 

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「十一人塚」。鎌倉攻めで討ち死にした宗氏以下11人が葬られた場所です。

 

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十一人塚のすぐ近くにある「袈裟懸松の碑」。

日蓮が龍ノ口の刑場へ連れて行かれるとき、

この地の松の木に自分の袈裟を掛けたといわれています。(松の木は残っていません。)

なお、処刑は怪異のために中止となったそうです。

 

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江ノ電の線路の脇を歩きます。

線路と道路の間に柵がないため、まるで路面電車のようです。

 

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「伝上杉憲方墓」。極楽寺の近くにあります。

かなり細い階段・道に入ったところにあります。

入口で、道行く人に「この先に何があるのですか。」と質問されました。

奥の七層塔が憲方の墓で、手前の塔が妻のものとされているそうです。

 

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極楽寺切通。開削された当時は、位置的にはもっと上の方にあったそうです。

(現在は当時の切通しをさらに掘り下げているそうです。)

今回は切通しを通らず、横の成就院への道を通ります。

 

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石段の途中から海が見えます。

現在の海を眺めながら、昔の地形についてお話を聞きます。

階段の脇には紫陽花が植えられていて、

紫陽花の時期には大混雑の場所ですが、今日はとても静かでした。

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坂ノ下の海岸です。

先ほどお昼を食べた稲村ガ崎と比べると、確かに砂浜の色が違います。

 

このあたりでパラパラと雨がちらついてきました。

少し急ぎ足で集合場所の長谷駅までもどります。

今回はこちらで解散となります。

 

今日は雨の予報ではなかったので、

傘を持っていない受講者もいらっしゃいましたが、なんとか最後までくることができました。

今期のフィールドワークでは、まだ一度も雨に降られていません。

今回もなんとかセーフだったと思います。

 

次回のフィールドワークは11月13日を予定しています。

次も晴れると良いですね。