文化財スタディ・ツアー(9) <1日目>
6月4日(金)~6月6日(日)に行われた、
B-17 文化財スタディ・ツアー(9)懸想の地・奥州へ の様子をお伝えします。
【1日目】
福島駅集合
厚樫山古戦場跡など ~第1見学地
厚樫山は、大将大木戸国衡に率いられた平泉方の軍勢が陣取った場所
・厚津賀志山の古戦場
・厚津賀志山防塁
尾根などに土塁や石垣(石塁)、空堀や水堀、
さらに塹壕などを平行線上に築いた防御構築物の解説を受けながら、防塁跡へ向う。
防塁跡の解説を関幸彦先生より受ける。
草木が生え分かり難いが、よく見ると土塁の跡が伺える。
見学地移動中の、車中講座を行う関幸彦先生
(5/29の事前講義での配付資料などを基に、移動時間をフルに使い講義が行われる。)
~福島を後にし、宮城に入り第三の見学と多賀城跡へ、途中昼食をとり体力を付ける。~
多賀城跡 ~第2見学地
(日本の律令時代に、陸奥国に設置された城。国府・鎮守府などに使われた。
国の特別史跡に指定。)
あいにくの小雨・・・・・。多賀城政庁跡へ向う受講者
多賀城政庁跡、附寺跡(多賀城廃寺~後で見学)等の解説を行う関幸彦先生
ゆるやかな丘陵地を登り、政庁跡に向う。
多賀城跡政庁推定復原模型で当時を解説する関先生。
(陸奥国府の重要な儀式などを行ったところ、
周囲が築地塀で囲まれ、正殿、脇殿などを配されている。)
正殿の(敷石は当時の物)解説を受け、多賀城の全盛時に思いを巡らす受講者。
その感動を『奥の細道』に書き残した碑がある。
この碑は、歌枕として有名な「壺(つぼのいの)碑(いしぶみ)」と呼ばれている。
「泪(なみだ)も落ちるばかり也」
多賀城碑の解説風景
石碑面をつくり文字を掘り込んだもので西を向いて立てられている。
前半は、多賀城の位置を京や国の境からの距離で示し、
後半は、多賀城の設置年号や修造年号等が記され、
最後に碑が建てられた年月日が刻まれている。
・高さ約2メートル
・幅 約1メートル
・厚さ約70センチメートル
多賀城廃寺跡(国特別史跡) ~第3見学地
塔の心柱の礎石などが保存され、史跡公園として整備されている。
「前九年の役」の古戦場跡 ~第4見学地
雪を頂く栗駒山が見える古戦場にて解説を行う関先生
屯(たむろ)ヶ岡八幡宮 ~第5見学地
坂上田村麻呂が蝦夷征討の際に軍団を屯させた所
神社は小高い丘陵地にあり、中腹の鳥居でユーターン・・・。
骨寺村荘園遺跡(現在は本寺地区) ~第6見学地
中尊寺に現存する「陸奥国骨寺村絵図」に描かれた中世の村の荘園の面影を
現在までとどめている。代表的な日本の原風景が見られる。
奥州藤原氏ゆかりの荘園遺跡である骨寺村は、伝統的な農村の景観が維持されている。
かけがいのない貴重な遺産を調査・発掘に携わっている現地の学芸員の方に
急遽解説を仰いだ。
中世の風景が残る屋敷はイグネ(田んぼに囲まれた農家の背後にある
こんもりした屋敷林で、冬の栗駒山からの西風・雪を防ぐ防風林)が
点在する風景を見ながら探索。解説を受けながら駒形根神社へ
駒形根神社中腹から見る風景(用水路は、絵図ほとんど同じ)
一日目最後の見学地を終え、途中、国の名勝天然記念物に指定され、
栗駒山を原流とする磐井川の中流にある日本百景に数えられている
「厳美渓」の美しい渓谷を見ながら、宿泊地の一ノ関駅前へ
文化財スタディ・ツアー(9) 1日目(6/4)の様子をお伝えしました。
次回は、2日目(6/5)の様子をお伝えします。