10/1発行の鶴見大学報(第386号)に、
二藤館長の記事「古典の力」が掲載されています。
先日実施した「昔の本にさわってみよう!」と
古筆手鑑などについてです
許可をもらいましたので、転載します
「古典の力」
古典には力がある。最近そのことを実感した。
昨年度、神奈川県大学発・政策提案制度というプロジェクトに応募し採択された、“小学生向けの古典籍講習”プログラムを、この夏、図書館・文学部が県立図書館とともに横浜市内の小学生相手に実施した。
そのプログラムの一つの目玉は大学あるいは県立図書館所蔵の古典籍に直接手で触れて、その魅力を実感してもらう体験である。
授業で名前しか聞いたことのない、源氏物語、解体新書、ターヘルアナトミアなどの実物を目で見る、ということが主眼であったが、それだけでなく実際に触れてみるということで何かを感じてもらいたい、と考えていた。
私が素人ながら、最初にそれらの古典を手で触ってみて感じたのは、この古典を何百年も前に書いた人、手に入れた人と、あるいは大事に保存し後世に残してくれた人と何かが繋がったと感じたのだが、その感覚は小学生にもわかるのではないか、と思っていた。
今回参加した小学生に、この本を持って読んでいた昔の誰かと繋がった感じがしませんか?と聞いたとき、目を輝かせて頷いてくれた。
さらに面白い感想として、古い本にはそれぞれ独特の匂いがある、と子供達が教えてくれた。
実はこのプロジェクトのコンペが昨年県庁本庁舎で行われ、コンペの席で審査員の一人であった黒岩知事の手元に鎌倉時代の御成敗式目をお持ちしたとき、黒岩知事に感激した面持ちで実物ですか?と聞かれ、その瞬間きっと何かが伝わったのだろうと感じていた。
目に見えない力であるが、年月を経て多くの人に大事にされ、伝えられてきたものには、われわれの心を揺さぶるものがある。
それは老若男女関係ない、ということを強く感じた。
もうひとつ古典の力を実感したことがある。
古筆切と言って本として完全な形で伝来した古筆(奈良~室町時代のすぐれた書、和歌など)を、手鑑という言わばアルバムに貼って鑑賞したりする目的で切断したものがある。
最近、本学図書館に新たに収蔵された「古筆手鑑」を本学文学部久保木准教授らが調査しているうちに、この古筆手鑑に貼付されている古筆切の一つが、『新古今和歌集』の中でこれまで認知されていなかった未発見の一首であることを示す証拠を発見した。
その後の研究で従来全く知られていなかった藤原隆方の歌ということを明らかにしつつあるが、新古今和歌集という広く知られているものにも、まだミステリーな部分があり、なぜこれまで知られなかったのか、他にもまだ知られていない歌があるのではないか、と次から次に疑問が沸いてくる。
本学の研究成果がきっかけになって、古典としての新古今和歌集にも新たなスポットライトがあたるのではないかという期待ももたらされる。
これも古典籍に注力してきた本学文学部の総合力が発揮された成果ということであるが、研究者のそれを引き出す力が数多くの古典にあるということであろう。
昔から絵画、建築、音楽、文学何でも本物に触れることが大事である、とよく言われる。
もちろんその内容や表現をある程度理解した人が触れることが有意義なのはわかる。
しかしながら、それらが誰の心でも揺さぶる力がある、というのが本物の力なのではないかと思う。
今回、古典の本物としての力を実感すると共に、今度は現代の我々が後生の人々に本物として何が残せるだろうか、と改めて考えさせられた。
図書館長 二藤彰
(hh)