B-17 はじめからの鎌倉(その2) フィールドワークⅢ
B-17はじめからの鎌倉(その2)歴史考古学の成果と現地巡検は、本学文学部文化財学科が
当する講座で、鎌倉時代の武士の暮らしを教室で考え、現地でさぐってみる鎌倉入門講座です。
フィールドワークは、本学文学部文化財学科実習助手の福田先生がご担当です。
5月27日(日)は、B-17はじめからの鎌倉(その2)歴史考古学の成果と現地巡検のフィールドワークⅢ《永福寺造営をさぐる》の開催日でした。
当日は快晴! 鎌倉駅西口時計台前集合。
時計台の前のボランティアの方にいただいた「かまくら四季のみどころ」を配布後、今日のコースの説明を受け、出発。
まずは小町大路を横切り、ぼたもち寺を右折、八雲神社にたどり着く。
源頼義の三男、新羅三郎義光が鎌倉で疫病が流行しているのを見て京都祇園社を勧請したと伝えられ、もとは祇園社であったが神仏分離に伴い現在の名に改めたそうです。
ここからまた山道を登ったり、降りたりを繰り返し、みなさん本当に頑張ります。
途中途中で先生の解説を聞きながら、腹切りやぐらに到着。
このあとは、いったん鶴岡八幡宮で1時間の昼食休憩です。
次に向かったのは源頼朝法華堂。
もともと頼朝の持仏堂だったものを頼朝が亡くなるとそのまま墓とし、法華堂としたそうです.
続いて北条義時の法華堂。頼朝の法華堂も義時の法華堂も寛喜3年火災で焼失し、再建されたものです。
ここから東御門と名のつく幕府の東側の門があった当たりを通り、荏柄天神到着。
ここは、幕府の鬼門として栄えた神社で、「あなたとは戦いません」という武士との誓約をかわす場所に使われた重要な場所だったとか。
さらに二階堂大路を横切り、護良親王墓へ向かいます。
160段ほどの階段を上った先に閉ざされた門があり、そのまた見上げた先に親王の墓がありました。先生のお話によると塗り込めの座敷牢に幽閉された後、殺害されたそうです。
福田先生は長年ここで調査されたとか。ここは記録の上ではとても知られたお寺なのに、廃寺となってから、どんな寺でどっちを向いて建っていたかなど、何もわからなくなったそうです。
先生のお話では、ここは平成28年3月頃までに歴史公園として整備されるそうです。今からわくわくしますね。
最後は鎌倉宮を経由して、鶴岡八幡宮で本日の巡検コースは終了です。
今の季節はあちらこちらでうぐいすの鳴き声が響き渡り、自然を実感。ホ~ホケキョ・・・・・
かなり癒されました。
参加者の万歩計は13,000歩ほど。
歩数より、高低差激しい一日でした。皆様お疲れ様でした。
また次回6/10は今回最後FWです。天気晴れると良いですね。お楽しみに。