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2012年5月18日 (金)

B-17 はじめからの鎌倉(その2) フィールドワーク1

B-17 はじめからの鎌倉(その2) フィールドワーク1

B-17 はじめからの鎌倉(その2) 歴史考古学の成果と現地巡検 は、本学文学部文化財学科が担当する講座で、鎌倉時代の武士の暮らしを教室で考え、現地でさぐってみる鎌倉入門講座です。

フィールドワークは、本学文学部文化財学科実習助手の福田誠先生がご担当です。

513日(日)は、B-17 はじめからの鎌倉(その2) 歴史考古学の成果と現地巡検 のフィールドワークⅠ 「鎌倉の海と山」 の開催日でした。

当日は快晴! 長谷駅に集合。今日のコース説明を受ける。

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まずは、長谷駅から歩いて稲瀬川河口へ、河口で仏法寺跡方面の山並みを見ながら当時の鎌倉の道を窺う。

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その後、当時の鎌倉の道を辿り、笹目にある塔ノ辻①(五輪塔)、六地蔵②(古くは周辺に刑場が有り、霊を弔うため地蔵が祀られた。道路拡張整備のため現在のように縮小)を眺めながら若宮大路へ

Photo_47 ①塔ノ辻  Photo_48 ②六地蔵

若宮大路の下馬四つ角付近の、下馬橋①(かつては、佐助川に架かる橋があって「下の下馬橋」と呼ばれていた。橋が復元)、浜の大鳥居跡②や若宮大路を歩道橋③より眺め、元八幡に向かう。

Photo_49 ①下馬橋

1_4 2_4 ②浜の大鳥居跡

Photo_58 Photo_50 1_8 ③若宮大路の歩道橋

元鶴岡八幡宮にて由来などの説明を受け来迎寺に向かう。

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※元鶴岡八幡宮(由比若宮)は源頼義が開基。康平6年(1063)由比若宮を創建。その後源頼朝が治承4年(1180)に現在の鶴岡八幡宮の地に移した。

次に、時宗 随我山 来迎寺(元々真言宗能蔵寺のあった所)で三浦大介義明(みうらおおすけよしあき)公之墓を見学

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次の見学地、光明寺を目指す。

途中五所神社、実相寺を通り、リスの姿を見ながら散策する。

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天照山蓮華院 光明寺浄土宗 大本山)にて、境内で昼食と休憩をとる。前回は、山門を拝観(安置されている仏像など)しましたが、今回は境内を自由散策。

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昼食休憩後、藤家墓地を見学する。大きな宝篋印塔がたくさん並んでいて圧巻でした。.

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※江戸時代の大名・延岡藩内藤家のお墓。

次に、山裾を抜け和賀江嶋へ(和賀 江の築島ともいう)。現存最古の港湾施設であり、国の史跡に指定されている。築港に使われた石の多くは、湯河原あたりの海岸の石と伝わる。当時の漆器などの欠片が今でも多く出るとの事。参加者で宝探し、成果は秘密・・・。

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由比ガ浜海岸を散策後、新居閻魔堂(円王寺の前身。元禄16年の震災で大破)のあった辺りを散策し、滑川沿で発掘状況や当時の浜の風景(一の鳥居の前面、海浜部は前浜と呼ばれ、武士の鍛錬の場。商人たちの倉。埋葬の場所。)を窺う。

次に最後の見学地和田塚に向かう。

和田塚は、和田合戦の戦没者を弔った言い伝えと、古くは無常堂と呼ばれ、弘長元年関東新制条に「道路に病人や孤児、死骸や牛馬を捨てることを禁じる。病人や孤児は発見次第、保奉行人の責任で無常堂に送れ」とある。無常堂の場所は不明だが、和田塚が相呼ばれたのは、骨が多く掘り出されたことからだと思われる。

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本日の巡検コースは終了。

参加者の万歩計は約15,000歩、約89キロの散策であった。

お疲れ様でした。 次回をお楽しみに・・・。