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2011年6月16日 (木)

B-16 はじめからの鎌倉 フィールドワーク4

6月12日(日)は、B-16 はじめからの鎌倉 歴史を学んで現地を歩く の

フィールドワーク4 やぐら探訪 の開催日でした。

B-16 はじめからの鎌倉 歴史を学んで現地を歩く は、

本学文学部文化財学科が担当する講座で、

書き記された歴史と、発掘調査でわかった事実を学んで、

さらに現地で実感(再確認)する講座です

フィールドワークは、本学文学部文化財学科実習助手の福田誠先生がご担当です。

パンフレット内容はこちら【PDFファイル】)

 

天候が懸念されましたが無事に晴れてくれました。

汗ばむくらいの陽気です。

さて、今クールの鎌倉FWも今日で最後。

今回は鎌倉周辺の丘陵部に多く残る「やぐら」を見に行きます。

やぐらとは、山の斜面の岩盤を掘りぬいて作ったお墓のことで、

中世鎌倉の上層階級の人々はこの中に葬られました。

当時の上層階級の間では、法華堂と呼ばれるお堂を建立し、

そこを自分の墓所とすることが一般的でした。

ところが山がちな鎌倉では、好き勝手に法華堂を建てられると土地の余裕がなくなる為、

幕府がこれを禁ずる法令を出したと言われています。

そこで山中に掘ったやぐらを法華堂に見立て、

墓所とするようになったのではないか、とこのように考えられているそうです。

 

まずは集合場所の鎌倉駅西口から北へ15分ほど歩いた寿福寺。

ここの裏山には北条政子と息子の源実朝のやぐらがあります。

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裏山から寿福寺の山門へ抜けます。

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横須賀線の線路を横切って東に進むとお馴染みの鶴岡八幡宮。

日曜だけあって大変な賑わいです。

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鶴岡八幡宮の境内を抜け、さらに東へ。

清泉小学校、荏柄天神社を左手に見ながら進むと鎌倉宮に出ます。

境内では骨董市が開かれていました。

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10分ほどの休憩の後、今度は鎌倉宮から北へ。

天園ハイキングコースから百八やぐらに向かいます。

傾斜がきつい上に前日の雨で道がぬかるんでおり、思いの外ハードな行程でした。

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ハイキングコースから右手に分岐した道に百八やぐら郡があります。

「百八」というのはその数が多いところからついた名前で、

実際の数は200とも300ともいわれています。

画像のようなやぐらが無数にならんでいます。

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ハイキングコースに戻り、さらに先へ。

神奈川の景勝50選のうちの一つ、十王岩で昼食です。

十王岩には冥府十王のうちの3人が刻まれていますが、

風化が酷く、今ではうっすらと輪郭がわかる程度です。

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十王岩から望む若宮大路。

この日はうっすらともやがかかったようで、あまり見晴らしがよくなかったのが残念です。

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十王岩の下、ハイキングコースから外れた古道を下ると

朱垂木やぐらと呼ばれる大きなやぐらがあります。

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天井にお堂の垂木を模した朱の線が残っていることから

朱垂木やぐらと呼ばれているとのこと。

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朱垂木やぐらまで見学したところでハイキングコースを逆戻り。

今日最後の目的地である覚園寺に向かう予定でしたが、

時間に余裕があったので、2回目のFWで訪れた永福寺跡を再訪しました。

復元計画の話の続きを伺います。

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ふたたび鎌倉宮まで出て北へ。

今度は天園ハイキングコースの入口を通り過ぎ、さらにその奥の覚園寺に向かいます。

さきほど訪れた百八やぐらはこの覚園寺の裏山にあたります。

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500円の拝観料を払って境内へ。

1時間ごとにお寺の方が境内を案内して下さいます。

境内にも十三仏やぐらという大きなやぐらがあり、

その名の通り中には十三の仏様が祀られています。

残念ながら境内は写真撮影禁止でしたが、本堂の薬師三尊像、十二神将像をはじめ、

黒地蔵、旧内海家住宅など他にも見所が満載でした。

B-16 はじめからの鎌倉のフィールドワークはこれで終了。

残り1回は教室での講義となります。