文化財スタディ・ツアー(9) <3日目>
6月4日(金)~6月6日(日)に行われた、
B-17 文化財スタディ・ツアー(9)懸想の地・奥州へ の様子をお伝えします。
【3日目】
最終日は朝から晴天、暑くなりそう。
藤里毘沙門堂 ~第1見学地
胆沢城築城以降の陸奥国支配進める上での守護神として、
北上川河東に造像され、平安を祈ったと考える。兜跋毘沙門天、北方鎮護の守護神
丘陵地にある愛宕神社、トチノ木材による一本造、木造兜跋毘沙門天立像(重要文化財)を
中心に、東北を代表するに足る仏像彫刻作品がずらりと保存されている。
胆沢城跡 ~第2見学地
城柵は蝦夷支配の拠点として造営、胆沢城は、蝦夷交流の公益の場
城跡見てから、門構えが当時を窺わせる奥州市埋蔵文化調査センターを見学、学芸員の方の説明を受け、蝦夷の兵士が迎える展示会場で解説を受ける。
鳥海柵跡 ~第3見学地
本丸、二の丸、三の丸などがあった。現在、本丸跡は田んぼ。
本丸と二の丸の間に濠が残る。広く深い。
前九年の役で、父安倍頼時が没した柵
花の咲く水路沿いの道や、水田の脇を通って柵跡、
午前の見学が終わり盛岡市内へ、南部鉄器工房「岩鋳」で南部鉄瓶作りを見学し昼食
胃に優しい「ひっつみ定食」
安倍館遺跡・厨川柵跡 ~第4見学地
北上盆地の覇者安倍氏が滅亡した厨川柵跡、
安倍貞任をはじめ一族の勇戦の哀史は今も多くの言伝えとして残っている。
国道4号線沿いの安倍館遺跡と堀跡を見学、
現在は遺跡後に厨川八幡神社、保育園、民家が建っている。
安倍館遺跡見学後厨川柵跡へ、北上川と雫石川と合流する
丁字型台地上の一角に位置し、西側に堀の跡が水路となって見える。
子どもの頃の、風景や発掘調査や寺院が位置する由来を、ご住職に語ってい頂いた。
志波城古代公園 ~第5見学地
文化財スタディ・ツアー最後の見学地、晴天に恵まれ、雪の残る岩手山を望む志波城跡。
外回りの外郭は築地塀と大溝の二重で、外郭南門、政庁東門と復元整備され、
足下には、1200年前の遺構が眠っている。日ととき、いにしえの風に逢う。
外郭南門
外郭南門から政庁東門までの南大路を散歩(左) 政庁跡(右)
以上で全日程終了し、一路解散場所盛岡駅へ。
参加者の皆様、講師の関先生お疲れ様でした。
有り難うございました。
次回のフィールドワークの報告は、
6月13日(日)開催の、B-18 鎌倉の「戦場」を歩く の
フィールドワーク(4) 新田義貞鎌倉攻め をお伝えいたします。
お楽しみに。