B-24 忘れ去られた鎌倉の姿FW(玉縄城周辺を巡る)
10月2日(日)は、B-24 忘れ去られた鎌倉の姿 の
フィールドワーク1 玉縄城跡周辺の文化財巡り の開催日でした。
B-24 忘れ去られた鎌倉の姿 は、
本学文学部文化財学科が担当する講座で、
書き記された歴史と、発掘調査でわかった事実を学んで、
さらに現地で実感(再確認)する講座です。
フィールドワークは、本学文学部文化財学科実習助手の福田誠先生がご担当です。
(パンフレット内容はこちら【PDFファイル】)
毎回大好評の「鎌倉」をテーマに開催している講座ですが、
今クールはこれまであまり光が当たらなかった分野にスポットライトを当てています。
フィールドワーク初回は、
1512(永正9)年に北条早雲によって築城された『玉縄城周辺』を巡りました。
まずは、大船観音さまの頭がちょこっと見える柏尾川沿いで、
今回のルートの説明を受けました。
柏尾川も玉縄城のお堀の役割を果たしており、
天然の地形を活かした要塞だったそうです。
橋を渡って川沿いを進み、最初に訪れたのは『首塚』です。
早雲の子で初代城主・北条氏時は、阿房の里美氏と戸部川で防戦。
この戦いで城を守る為に戦死した35名を葬ったのがこの首塚です。
ここでは今でも、毎年8月にこの首塚を供養する祭りが行われているそうです。
首塚の近くのトンネル抜けて龍寶寺へ。
龍寶寺は玉縄北条氏の菩提寺です。
山門をくぐるとすぐそこに『玉縄ふるさと館』があります。
まずはこちらを拝観。
多くの民族資料と共に、玉縄城関連の遺物や模型も展示されていますので、
登城する前に地形の確認も出来ます。
ふるさと館横には重要文化財に指定されている『旧石井家住宅』もあり、
こちらにも寄ってから本堂へ。
境内にある新井白石の碑などにも足を向け、次は諏訪神社へ。
玉縄城本丸を囲む土塁の東側に一段高い場所があり、
ここに諏訪神社はありましたが、廃城後に現在の場所に移されました。
この日、先月の台風の影響で壊れた鳥居を直しているところに遭遇。
鳥居の横を抜けて境内へ。
こぢんまりとして趣のある本殿に参拝後、再び鳥居へ戻ってくると、修理は完了していました。
ここから一端、県立大船フラワーセンターまで戻って昼食となりました。
英気を養っていよいよ登城開始です。
フラワーセンターより植木谷戸に向かうと、
立派なマンション前の小さな公園内に、ひっそりと玉縄城跡の案内板があります。
ここから横道を行くと『七曲坂』へ。
急で狭い斜面を歩き上りついたさきは・・・
住宅街でした。
玉縄城は現在、本丸は清泉女学院の敷地内となり、その周辺は住宅地として開発が進み、
残念ながら当時の面影はすっかり息を潜めてしまっています。
住宅街より本丸を臨んで、ふあん坂(久成寺坂)を下り久成寺へ。
『久成寺』では上杉謙信公の祖先にあたる長尾氏の供養塔を見て、
次は、氏時発願で建立された『二伝寺』に寄り
さらに同じく氏時の代に、開山した『円光寺』に行きました。
城内の祈願所だった円光寺は、その役割を表すように、山号が「城護山」。
諏訪神社同様、廃城となって現在の場所に移りました。
ここから昼食場所となった、県立大船フラワーセンターへ戻って解散となりました。
天候にも恵まれ、彼岸花が満開の中、無事終了しました。
みなさんお疲れ様でした。
※来年は玉縄城築城500年目の節目の年という事もあり、500年祭が開催されるそうです。